大図書館の羊飼いSS 「図書部と魔法の妖精」

 一月。正月休みも終わり、徐々に汐見学園の授業も学期末試験に向けての内容に変化しつつあった。この時期になると、普段授業に出席しない生徒達がノートの貸し借りに動き出し始める。実際、図書部一年生の鈴木佳奈と御園千莉は部室にてお互いのノートを真剣に書き写していた。
「まったく、一年生コンビは不真面目ですこと」
「高峰先輩、邪魔しないでください。気が散ります」
「私達、今は高峰先輩に構ってる余裕はないんです。鬼気迫ってるんです、うら若き一年生コンビは」
「分かった分かった。俺が悪かったですよ」
 軽い茶々を入れたつもりだったらしいが、佳奈と千莉に軽くあしらわれてしまい、少し寂しそうな表情を浮かべて缶コーヒーに口を付けた。
「授業に真面目に出ていない二人を咎めたいところではあるが、去年からのパンジービオラの世話を考えると怒ることはできないな」
 玉藻は広げていた扇子を閉じ、先端を口元へ当てる。不真面目な生徒には厳しい態度を取る玉藻も、さすがに去年からの図書部の活動を考えると一概に叱ることはできなかったようだ。
「うぅ……ごめんね、二人とも……。私ができることならなんでもするからね」
 そして図書部の中心人物である白崎つぐみが責任を感じ、申し訳なさそうに謝る。
「それじゃあ鈴木、白崎先輩の手作りクッキーが食べたいです。やっぱ頭を使う時は甘いもので栄養補給が大事だと思うんですよ」
「ただ白崎のクッキーが食べたいがために、この状況を利用しているだけだろう」
「てへっ、やっぱりばれちゃいます?」
「ほら佳奈。早く書き写すのを進めないと今日中に終わらないよ。まだ近代日本史と経済学が残ってるんだから」
「あ、ごめんごめん。次のページいって大丈夫だよ」
「ふふ、それじゃあ佳奈ちゃん達のために明日クッキー作ってきてあげるね」
「よし! そうと決まったら鈴木は頑張りますよ、えぇ!」
 つぐみとの約束を取り付けると、佳奈は瞳の奥に炎を燃え滾らせたかのように目を鋭くして一心不乱にシャーペンを走らせ始めた。人参を目の前にぶら下げられた馬、というのはこういうことを言うのかもしれない。
「で、筧は相変わらず勉強はしない主義ですか」
「いや、さすがに今回はちょっとそういうわけにもいかない。教科書を一通り読み直してノートも足りない部分を埋めないと成績を落としかねない」
「たったそれだけで成績上位を維持できる、ってのは逆に考えればすごいことだけどな」
「ああ……試験が近付く度に、筧に対して言葉にできない感情が沸いてくる……」
「理不尽だ……」
 口を尖らせる玉藻に、京太郎は肩を竦める。定期試験が近付くと、普段居心地がいい図書部の空気が途端に張り詰めるのはどうにかならないものだろうか。
 玉藻の視線から逃げるように、京太郎は文庫本に視線を落とす。久しぶりに推理小説を読みたいと思い、江戸川乱歩の本を探して読んでみているが、意外にこのチョイスは正解だったかもしれない。古きよき推理小説に戻ってみるというのもなかなかにいいものだ。
 緩やかに流れる時間に身を委ねながら、京太郎は一度窓の外に目をやり少し前までの激動の日々を思い出していた。
 昨年九月、沢山のパンジービオラを使って新入生を歓迎しよう、という一大プロジェクトが動き始め、それ以来図書部は目が回るような忙しい日々を過ごしてきた。必要な予算、道具、そして交渉と宣伝活動。部の皆がプライベートの時間を削り、各所に奔走してヘトヘトになった日は数え切れない程だった。
 だが、皆の士気が落ちることはなく、企画は軌道に乗った。一人一鉢プロジェクトという、多くの花の栽培に必要な土地と人材が一気に解決したためだ。初めは花の育て方についての問い合わせに答えるためにしばらく多忙を極める日々が続いたが、その疑問の解決すると一気に図書部の活動に余裕が生まれるようになった。花の栽培が難しいわけでもなく、ほぼルーチンワークとなったため、三の本格的な花の装飾、配列作業が始まるまでは緩やかな部の時間を確保することができている。
 ただ、少々だらけ始めた図書部の空気をつぐみと玉藻が放置するはずもなく、できる範囲で以前の活動を始めないか、という提案が昨日なされたのだ。定期試験も近いということを考慮して、なるべく時間を取られない要望に絞る、という前提で再びホームページでの募集が始まっている。
「玉藻ちゃん、どう? 何か相談事はある?」
「ああ、いくつかきているな」
「前までは相談掲示板は一時閉鎖してあったのに、こうやって書き込みがあるってことは豆に更新をチェックしてる生徒もいるってことだよな」
「興味を持ってここに来てくれる人が多くいるというのは喜ばしいことだな」
「けど、俺達がやらなくても問題ないだろ、って相談が多かったりしないか?」
 一景がうんざりしたように言う。重要案件が重なって断ったものもあるが、野球の球拾いや代打要員としてチームに参加して欲しい、という要望もあったな、と京太郎はぼんやり思い出していた。
「……ん? マンホールの数を数えるお手伝いをしてください、というのがあるな」
「なんだそりゃ? 重度のマンホール好きなんているのか?」
「珍しい人もいるんだねー……」
「多分それはアルバイトの一つだ。以前何かで読んだことがある」
 妙な掲示板の書き込みに疑問の声が上がる中で、京太郎は短く指摘した。
「そんなアルバイトが存在するのか?」
「雑誌か何かで読んだことがあるだけだ。設置されている感覚や、決められた区画に何個マンホールが存在するか、っていうのを調べるんだよ」
「ってことは、この依頼はアルバイトの手伝いをしてくれ、ってことになるよな?」
「却下だな、却下。私達の活動はアルバイトの手伝いをするものではない」
 図書部の活動は、基本的に無償でありお金を受け取らない、というのが基本的な方針のため、それに反する書き込みは玉藻はばっさりと切り捨てる。後回しにせず、玉藻は即座にメールソフトを立ち上げて返信作業を行った。
「こういう相談は大分減ってきたと思ったけど、まだいるんだな、こういう依頼を書き込む奴ってのは」
「どちらにしても、桜庭フィルターを突破できないんだから気にしても仕方ない」
「こういうのは容赦なく切っていくさ。まったく、図書部を何だと思ってるんだ……」
「おー……姫が久しぶりに立腹されておる……」
「高峰、その呼び方はやめてくれと言っているだろう……」
 一景の茶々に玉藻はうんざりしながらキーボードを叩く。それからすぐにマウスを左クリックする音が聞こえる。どうやら返信は完了したようだ。
「他にはどんな相談があるのかな?」
「これ以外にもう二つ……どれどれ、第一食堂アプリオから来ているな。これは依頼というよりはお誘いといったものだが……」
「え、アプリオからですか?」
 ここで反応したのは、無言でノートを書き写している佳奈だった。佳奈は朝にアプリオでホールとしてアルバイトをしているのだ。
「新作スイーツの開発にあたって、試食会を開くそうだ。お世話になっている図書部の皆さんの意見も聞きたいので興味がある方は是非参加してください、と書いてある」
「あ、これ嬉野さんが書いてくれたんだね」
「新作スイーツと聞いたら黙っていられないですね」
「桜庭先輩、何人までっていうのは指定はあるんですか?」
 時々怠ける佳奈を叱る役だった千莉も、この時だけは試食会の話題に食いついた。
「特にないが、あまり大所帯で行っても迷惑だろうな」
「なら、俺はパス。甘いものばっかり食べていると胸焼けを起こしそうだ……」
「俺もだ。こういうのは女子に任せる」
「では謹んでお受けすることにしよう。日時は明後日の金曜日、午後四時からだそうだ」
「よかった、私は授業ないから参加できそう」
「私も大丈夫そうです。千莉は?」
「平気。それまでに試験勉強を終わらせないとね」
 一年生コンビは明後日のスイーツ試食会を自分への御褒美と設定し、互いに頷き合って再びノートに向き合った。女の子って簡単だな、とぽろりと口から漏れそうになったが、余計な非難の視線をもらいそうだったので京太郎は言葉を飲み込んだ。
「で、最後の一つだが…………ん?」
「どうしたの、玉藻ちゃん?」
 その時、画面をスクロールさせていた玉藻の表情が曇った。隣に座っていたつぐみが画面を覗き込む。
 またアルバイトの手伝いといった、図書部の活動にそぐわない相談だったのだろう。京太郎は玉藻が内容を読み上げるのを待ちながら、千莉が書き写しているノートに視線をやる。この教科は去年、京太郎も取っていた授業だ。ならば勉強くらい見てやってもいいかもしれない、とぼんやり考えていた。
 だが、これから玉藻が口にした掲示板の書き込みが、ちょっと不思議な日々に図書部を誘う内容だとはこの時誰一人予想していなかった。
 静かに、やや厳かな雰囲気を漂わせながら、玉藻が言った。
「魔法の妖精を一緒に探してください、と書いてあるんだが……」