ラブライブ×クルくるSS 

「おっはよー!」
 長い長い階段を駆け上がりながら、穂乃果は音ノ木坂学園の生徒達に挨拶を交わしていく。クラスメイトだけでなく、大勢の上級生、下級生からも声をかけられるようになったのは、一週間前の講堂でのライブによる影響だろう。あの日以来、穂乃果達に声を掛ける生徒が劇的に多くなっていた。
 という嬉しさを抱えつつも、今日も寝坊をしたせいで先に登校した海未に後で怒られるんだろうなぁ、という少々の陰鬱さを感じざるを得なかった。けれど、きっとことりが上手くフォローを入れてくれるに違いない、とそんないつもの教室での風景を思い出し、穂乃果は最後の階段を昇った。
 音ノ木坂学園の正門前。信号を待ちながら、正門に入っていく生徒達の後ろ姿を眺めながら、穂乃果は不意に先週までの大変な騒動を思い出していた。
 自分の無茶が原因で大失敗に終わってしまった学園祭でのライブ。それが原因で引き起こされた、ラブライブの出場辞退とことりの留学問題。そして、責任と自己への呵責によるμ’s解散の危機は、何か一つでも間違っていたら現実になっていただろう。もしそうなってしまったら、と考えると、こうして笑顔で挨拶をして登校する日常はなくなっていたのかもしれない。
「本当に、反省しなきゃね……」
 自分を戒める言葉は、目の前を通り過ぎたスポーツカーのエンジン音によって掻き消された。
 ことりを引き止めた日に行われた講堂でのライブ後、穂乃果達九人はすぐにその足で理事長室へと向かい、全員で頭を下げに行った。服飾の勉強をするために海外留学を決めていたことりを引き止めたことへの謝罪をしたのだ。
 荷物も郵送し、異国の地で世話になる下宿先の準備も完了していたにも関わらず、その直前になって全てを取り下げたというのは、女子高生には想像もできないような多大な迷惑を広げることになった。それは金銭的な問題だけではなく、ことりの母親である音ノ木坂学園の理事長の信頼をも傷付けることになっただろう。
 普段温厚な理事長も、今回の一件には厳しい叱責に加えてμ’sの活動を長期間停止する措置を取るかもしれない、と思っていた穂乃果だったが、理事長は苦笑混じりにやんわりと叱るだけで音ノ木坂学園アイドル研究部が謹慎処分を受けることはなかった。
 あまりにも軽すぎるこの処罰に関して、生徒会副会長である希が後日こんなことを教えてくれた。
「理事長も、音ノ木坂学園が存続することが決まったのを、うちらに感謝してるみたいなんよ。だから今回の一件を許してくれたんわ、きっとそのことに対する温情も含まれてるんやろね」
 勿論希も理事長から直接話を聞いたわけではなく、それが本当かどうかは穂乃果達には分からない。ただ、謝罪をした時に見せた理事長の苦笑には、そんな意味が込められていたのかもしれない。
「……頑張らないと!」
 信号が青に変わったのを確認して、穂乃果は正門へと歩く。静止していた夢に向かってもう一度進んでいくために、九人が手を携えて進んでいかなければならないのだから。
 校舎に入って上履きに履き替えた後、穂乃果は二階の自分の教室を目指す。すれ違う友人達に挨拶をしながら、一度は手放してしまった新たな夢について考える。
 ラブライブ出場。穂乃果が無理を貫いて倒れてしまったことが原因で消えてしまった夢は、可能性までもが完全に消滅したわけではない。全国のスクールアイドルが集う一大イベントは年に二回開催されるため、夏の出場機会を逃したμ’sには冬の参加に最後の望みが残されているのだ。そのために、再びアイドル活動を始めてランクを上げていかなければならない。
「うーん……」
 だが、穂乃果の頭を悩ませる大きな問題がある。それが、ライブを行う機会と時期である。失敗に終わった学園祭でのライブの埋め合わせも兼ねてμ’sの復活を印象付けるために大きなライブを行いたいのだが、何時どこで開催するのか、という明確な方向を未だに決められずにいた。
 講堂でのライブで復活したμ’sのランキングは、音ノ木坂学園の生徒達が全国のファンのおかげで一気に上位へと浮上した。だが、まだまだラブライブ出場の条件を満たす順位には到達できていない。
 どーんとやって、ぱーっと派手にやって、みんながわーってなれるようなそんなライブを行うためには、擬音混じりに抽象的な案が頭の中でぐるぐると回り始める。うーん、と小さく唸りながら視線を足元に落とし、そして踊り場に到着した時、唐突に頭に何かがぶつかり、後ろに倒れそうになったのを抱き留められた。
「うわっ!」
「ちょっと穂乃果。ぼーっとしてちゃだめじゃない」
 音ノ木坂学園の生徒会長であり、μ’sのメンバーである絢瀬絵里が目の前に立っていて、穂乃果は目をパチクリさせる。
「え、絵里ちゃんが瞬間移動してきたっ!」
「何言ってるのよ。ずっと穂乃果の名前を呼んでたのに全然気付かなかったじゃない」
「あ、あれ……そうだっけ……?」
 どうやらライブの事に傾注しすぎて周りの声が聞こえなくなってしまったらしい。学園祭でのライブで倒れてしまった時、もう少し周りを見るように、と教えられたはずなのに、悪い癖がまだ無意識の内に顔を出してしまったようだ。
「ご、ごめんごめん……ちょっとライブのことを考えてて」
「そのことなんだけど、ちょっと穂乃果に話したいことがあって探してたのよ。今ちょっと時間あるかしら?」
「話って……もしかして、いい案があるの!」
「それも含めて全部話すから、生徒会室まで付いてきて」
 意図的にこの場で全てを明かすことなく、少しだけ小悪魔的な笑顔を見せて絵里は階段を昇って三階にある生徒会室へと向かう。その後を、穂乃果は胸にいっぱいの期待を詰め込んで追いかける。今日の絵里の雰囲気から見て、穂乃果達にとって何か素晴らしい案が出てきたに違いない。
 掲示板にある様々な張り紙を横目に、今度はどんな告知のポスターを飾ろうかと頭の中で空想を走らせながら、絵里と穂乃果は生徒会室に到着し、入室する。以前までは生徒会室なんて入りにくい場所だと思っていたのに、μ’sとしての活動を続け、絵里と希が加入してからは何の抵抗も入れるようになったなー、と勝手知ったる私室に入るような気分で中へ進んでいくと。
「あれ、海未ちゃん?」
「きたみたいやね」
「……また寝坊ですか?」
 タロットカードを手にした希の隣に、やや眉間に皺を刻んだ海未の姿があった。あはは、と穂乃果が曖昧な笑みを作ると、海未は諦め半分のため息をついた。
「あれ、ことりちゃんは?」
「一時間目の物理の授業で使う資料を取りにいっていたので、私だけ来たんです」
「希ちゃん。私達だけの秘密のお話?」
「昼休みにみんなにちゃんと話すつもりよ」
「穂乃果と海未をたまたま見かけたから、先に話そうって思っただけなの」
 絵里が生徒会長の低位置である中央奥の椅子へ座り、穂乃果は海未の隣の椅子へ腰掛ける。そして、机の上に丁寧に詰まれた資料の一番上、淡いピンク色の封筒を手に取ると、絵里は穂乃果に手渡した。
「これは……?」
「理事長に届いた、昔の知り合いからの手紙らしいの。ちょっと読んでみて」
「私達がそんな大事な手紙を読んで構わないのですか?」
「勿論理事長は目を通しているし、読んでいいって許可ももらっているわ。それに、読んでもらえれば分かると思うけど、内容は私達に関係してるものだからね」
 ふふっ、と絵里は楽しそうに微笑む。中身を知らない穂乃果がちらりと隣を一瞥すると、目が合った海未は小さく首を傾げていた。どうやら海未もまた手紙に目を通してはいないようだった。
「穂乃果、開けてみましょう」
「そうだね。何が書いてあるんだろう……?」
 可愛らしいキリンのシールを丁寧に剥がし、中に入っていた手紙を広げる。細いボールペンで記された手紙には、書道有段者が書いたのか思わず見惚れてしまうような達筆で記された字が並んでいた。
「うわぁ……すごいキレイな字だね」
「これは見事ですね……」
 小さい頃から書道を習っている海未も感嘆の声を上げる。海未が手放しに賞賛するということは、この手紙を書いた人物はかなりの腕前の持ち主なのだろう。
「ですが、なんだか内容は随分と対照的ですね……」
 ただ、読書は漫画が基本な穂乃果は一瞬眩暈を起こしそうになるような活字なのだが、よくよく読んでみると文面は書体に似合わずかなりフランクなものだった。文頭の理事長の名前の後に続く言葉が、時候の挨拶などではなく『はぁい、元気してる?』なのである。
 アンバランスな字の質と内容を可笑しく思いながら、穂乃果は海未と共に読み進めていく。そして、最も重要な一文は手紙の末尾に書かれていた。
『そういうわけだから、うちの学園でμ’sにライブをしてもらいたいんだけど、どうかしら? 舞台のセットや宣伝、その他の雑事は勿論うちの方から人手は出すわよん』
「絵里ちゃん、これって……」
 穂乃果が顔を上げると、絵里と希は小さく首肯して微笑んだ。
 階段の踊り場で絵里が覗かせた、少しだけ嬉しそうな表情。
 それは手紙の最後に書かれていた一文、それはμ’sへの依頼の内容だった。
「すごい! 私達、他の学校からオファーがきたよ!」
「ほ、本当に……私達の……」
 今までランキング十九位まで上り詰めた実績はあったけれど、こうしてライブのオファーが来るのは初めてだ。思わずその場で飛び跳ねてしまいそうな穂乃果とは対照的に、海未は手紙の内容が信じられないといった様子で茫然としていた。
「で、ですが……何かの悪戯だというようなことではないのですか……?」
「真実か疑ってしまうような文章やけど、依頼は本当みたいなんよ。うち達も最初は信じられなくて、理事長に何度も確認したからね」
「というわけなのよ。どう、穂乃果? μ’s復活ライブの舞台としてはいいんじゃないかしら?」
「うん! うん! そうだね、是非受けようよ!」
 穂乃果は迷わず頷く。ライブの機会を探していた穂乃果達にとっては、まさに渡りに舟のオファーだ。昼休みにメンバー全員に話すと言っていたが、おそらく反対する人はいないだろう。
 一瞬にしてやる気が体の底から湧き上がり、今からでもライブのために動き出したいという衝動に駆られる。だが、海未は穂乃果が机に置いた手紙に再度視線を落としてじっと黙り込んでいた。
「どうしたの、海未ちゃん? ライブができるんだよ?」
「それはそうですが、どこの学校からの依頼かと思って……」
「一番下に書いてあるわ。理事長さんの名前の隣を見て」
 立ち上がった穂乃果は海未が手にしている手紙を覗き込む。最後の行の端に、有名人のサインを意識したような筆記体のような文字がある。その隣に、見たことのない学園の名前が記されていた。
「えーっと……ながれぼし学園?」
「りゅうせい、と読むんです」
「海未ちゃん、知ってるの? この近くにある学園なの?」
「ここから電車で一時間弱といったところでしょうか。弓道の大会で一度行ったことがあります」
「へー……」
 流星学園。穂乃果にとって未知な学校であり、そもそも共学か女子校なのかも分からない未知のステージでライブを行う、μ’sの初の遠征である。
 不安はあった。馴染みの地を離れるという遠征の地でのライブは大きな重圧を背負うことになるかもしれない。だがそれ以上にワクワクする心の躍動を穂乃果は抑えることができなかった。
「やろう! 私達の復活ライブを、流星学園で!」