テニスの試合後の一幕

※ 本編のヒロインは大図書館の羊飼いの佳奈すけをイメージしておりますが、ゲーム本編とは一切関係がないことを予めご了承ください。大図書館の羊飼いのSSでもありません。


「ありがとうございましたー……」
 字面から見れば感謝の言葉ではあるのだが、勇の声には大きな疲労感と少々の悔しさしか込められていなかった。
「ありがとう、ございましたー……」
 最後に握手した佳奈も、まったく感謝の気持ちのない挨拶を返してくる。
 試合が終わり、手早くスポーツドリンクとタオルとラケットをバッグに仕舞い、早々にコートを後にする。そして自動販売機前に設置された大会本部のテーブルの前を通り過ぎ、駐車場の奥へ足早に移動する。この間、勇と佳奈の二人は互いに無言。だが、荷物をどさりと地面へ置くと、佳奈が両手を大きく上げて小さく叫んだ。
「あー、もう! 負けも負けのダンゴ負け! 一ゲームも取れないとか、どんだけ強いんですかあの人達!」
「まぁ……一ゲームも取れなかったのは俺の責任でもあるよな……。ミックスダブルスは男のサービスはキープするものだ、って色んな人から言われてきたのに、見事に全部ブレイクされちまったわけだしさー……」
「い、いやいやいや! 勇先輩のせいじゃないですから! 終盤なんて前衛にいた私が狙われまくって、そりゃもうミスしまくりだったんですから!」
「それはつまり、俺のサーブが威力がなくて頼りないって意味か……」
「悲観的に捉えすぎでしょ!」
「だって、俺のサーブゲームの話だろ……佳奈が狙われまくったのって……」
「それはそうですけど……」
 がっくりと肩を落とした勇の気分が、加速度的に負の方へ走っていく。ペアを組んだ佳奈は慰めてくれているようだが、今の勇には心に突き刺さる非難にしか聞こえなかった。
「先生には、試合を楽しんで来い、って言われたけどさぁ……楽しむ余裕なんてなかったよなぁ……」
「ゲームの中での一ポイント目と四ポイント目は集中しろ、とも言われましたよねぇ。試合中はそんなこと思い出してる余裕なかったですけどねー……」
「つまり、俺達は試合の雰囲気に飲まれたってことだよなぁ」
「あ、あはは……実は結構ガチガチに緊張してたんですよね、私……」
「それは最初のボレーの時に両足がべったりくっついてたのを見て分かった」
「気付いてたのなら少しはフォローしてくださいよぉ……」
「いや、だからポイント間は声掛けたりハイタッチしたりで緊張を解そうと思ったんだぞ」
「そ、そうだったんですか、すいません私が不甲斐なくて……」
「だから不甲斐ないっていうならそれは俺なんだってば……。ミックスダブルスなのに女の子をサポートしてやれなかったんだぞ」
「……お互い泥沼にはまって抜けられなくなってますね」
「まぁ、これだけコテンパンにされたらなぁ……」
 互いの口から同時にため息が漏れた。敗戦から学ぶ姿勢にならなければ無意味とは分かっていても、しばらくは頭を切り替えることはできそうになかった。
 冬休みに入った日曜日。互いに学校の硬式テニス部に通う二人は、市が一年に一度開く大きなテニスの試合に出場していた。毎年多くの参加者が出場するレベルの高い試合と言われており、大会初日の今日もなかなかの賑わいを見せていた。
 部内で先輩と後輩という関係にあたる二人が何故試合に出場しているのか。理由は単純で、以前に男子、女子テニス部の合同練習の際に偶然ペアを組んだ二人が抜群のコンビネーションを発揮して優勝したため、周囲の部員(大半は女子)から市の大会に出場してみたらどうかと勧められたからである。
 素人同然のプレイヤーならばやんわりとはぐらかしつつ辞退するのだが、優勝した実績を考えて勇と佳奈は互いに試合に出場することにしたのだった。そもそもテニスプレイヤーにとって、実戦が何よりの経験であるのは確かだし、佳奈がペアならいいところまで勝ち上がれるのではないかと思ったのも理由の一つだ。
 だが、結果は散々。八ゲームマッチだというのに、勇と佳奈のペアは一ゲームも取ることができずに初戦で早々に敗退してしまったのだった。
「……今考えたらさ、対戦相手ってどっかのスクールのコーチだったんじゃね?」
「そうかもしれないですよね。一つ一つのプレーが落ち着いてましたし」
「場数を踏んでる、ってのもあるよな。俺達が試合経験浅いわけじゃないけど、学外での試合は両手で数えられるくらいしか出てないし……」
「そういえば、さっき私達が帰ろうとした時に言われましたよ。あなた達ならきっと上手くなれるわー、って! 何ですか、あの上から目線! あれが勝者の余裕ってやつなんですかね!」
「上から目線っていうか、年齢も経験も向こうの方が上だけどな……」
「悔しいから、次の試合で負けちゃえばいいんだ、って念じておきましたよ!」
「それはスポーツマンとしてどうなんだ……?」
 自棄酒をする年配の男性サラリーマンのように、佳奈は勢いよくスポーツドリンクを煽った。
「けどさ、ごめんな鈴木。勝てなきゃ試合なんて出る意味なかったよなぁ」
「そ、そんなことないですって! 勇先輩と出られたんだし……」
「ん? 俺とペアを組めば勝てるかも、ってことで今日の試合に出ようとしたんじゃなかったのか?」
「それは、えっと……」
 何故か佳奈は頬を赤らめた。勇が想像していた理由ではなかったらしいが、では佳奈はどうして試合に出場しようと決めたのだろう。
「んー……周りが持てはやして引っ込みが付かなくなったとかか?」
「そ、そんなとこですかね、あははー……」
「……尚更俺の立場がねぇ。一勝すらできなかったとは……」
「勇先輩! ループ! ループしてますって!」
 結局一勝もプレゼントしてやれなかった自分の実力不足が原因ではないかということに行き着き、勇は頭を抱えた。男である勇も、多少は佳奈の前でいい格好をしたいという見栄があったのだ。
「と、とりあえずさっきの試合で何が悪かったのか、反省も交えながら色々と検討してみましょうよ、先輩」
「そうだよなぁ……」
 佳奈に促されて、思い出したくない記憶になり欠けていた先程の試合を頭の中でリプレイしてみる。
 悪かった点として、立ち上がりの緊張だ。試合という舞台に立つ以上平常心というものは必要不可欠だが、勇も佳奈も最悪の立ち上がりをずるずると引きずり、結局本調子を取り戻す前に試合が終わってしまった。それがまず一つだ。
 それに付随して、自分が佳奈に気を遣ってやれなかったことも反省すべき点だ。ダブルスなのだからペアの不調は支え合っていかなければならない。自分の事で手一杯だった、なんて言い訳は許されない。勇は男であり佳奈は女の子だ。体格、身長、力、それらが優れた男が引っ張ってやる必要があるのだから、
 後は、勝負すべきポイントで弱気になりロブで逃げてしまったことも原因だ。全力で打ち込むべきタイミングでは、相手の体にぶつけるくらいの気概を持って勝負に挑まなければならなかったのに、ネット前に果敢に詰めてくる相手ペアに翻弄されて、つい頭上を抜こうなんて安易な手段に逃げてしまった。
「うーん……と……」
 議論に進む前に勇は思案する。後は、率直に考えていかんともし難い実力差、だろうか。これは反省する点というよりは、抽選の運が悪かったと嘆くしかないのかもしれないが。
「……あれ?」
「どうしました、先輩?」
 敗戦から自分達の課題を探していて、ふと勇は気付いた。いや、気付いてしまった。もしかしたら自分達は最初の一歩を間違えてしまったのではないか、ということに。
「勿論俺達が実力を出し切れなかったのも負けちまった大きな理由の一つだけどさ、そもそも俺達って出る試合を間違えたんじゃないか? 初級者、中級者、上級者、ってレベル分けされてる試合に出た方が、もっと実力が近い人達が出場してて得られるものも多かったと思うんだよ」
「あー……そういえば、そうですね」
「市の大会なんだから、この市に住んでる人達全員に資格があるわけで、まどろっこしい実力分けなんてないんだから、俺達みたいな学生がコーチレベルの相手と当たっても仕方ないんだよな……。そうだよ、初級者、中級者が集まる試合に出りゃよかったんだ……」
「つ、つまり私達って……無駄なことをしてたってことですかね?」
「無駄とは言わないけど、俺達は一方的に蹂躙されたようなものだろ。そんな試合で得られるものなんて考えてもそんなに多くないだろ」
「先輩、蹂躙って……まぁ、言い得て妙ではありますけど……」
「もっと俺達の身の丈に合う大会に出ておけばよかったよなぁ」
 大会に出る以前に、その大会を選んでおくべきだった、という最初の一歩を踏み出し間違えていたことに気付き、勇は大きなため息をもう一度吐き出した。周囲の部員だけではなく、顧問に勧められたこともあったが、あの時もう少し冷静に考えることができていれば、と悔やむ気持ちは多々あった。
「……というわけで、やっぱりごめんなぁ。負けて嫌な思いさせちゃっただろ?」
「い、いえいえいえ! これでも鈴木は鋼の精神を持つ平々凡々な苗字を持つ女の子で通っているので!」
「無理してるだろ?」
「あ、あはは……。けど、試合には負けちゃいましたけど、いい経験になりましたよ」
「そう言ってくれると救われるよ。今度はちゃんとレベル分けされてる大会を目指して頑張るとするか」
「え……?」
 佳奈が意表を突かれたような顔をしていた。間違ったことを言ったつもりはないのだが、と思った直後、自分が勝手にミックスダブルスのペアを佳奈と組むことを前提に話していたことに気付いた。
「あ、悪い悪い。俺じゃミックスのペアとして不甲斐ないし、他の人と組んだ方がやりやすいとかあるもんな」
「そ、そそそ、そんなことないですよ! 学校での試合でもそうでしたけど、先輩とペア組むとすごくやりやすいですし! 後ろは任せっきりになっちゃいますけど……」
「別に気にしなくていいぞ。鈴木みたいに前で積極的に攻めてくれるとこっちも助かるからな。多少パッシングで抜かれたとしても、ネット前でべったり張り付いてるだけ、ってのよりはいいし」
 後ろの方で山なりの軌道を描く威力の乏しいボールを打って、ミスをしないよう無難に返しておこう、と考える女の子のテニスプレイヤーは多い。だが、鈴木は甘い球を打ち込み、隙あれば前に詰めてボレーをしに飛び出す積極的なプレースタイルの貴重な選手だ。勇としても、多少のミスを覚悟で攻め続ける佳奈のプレーは好きだし、後衛を守る時はカバーのし甲斐がある。
「だからその、先輩がよければ是非次の試合でも……」
 と、普段の快活そうな雰囲気とは違って、佳奈はもごもごと言い難そうにしていた。
「そうだったのか。俺も鈴木が一番やりやすいし、次もペアを組んで試合出てくれるっていうなら俺も嬉しい」
「ほ、本当ですか!」
 大きな声で嬉しそうに言った佳奈の勢いに、勇は一瞬たじろぎそうになった。
 だがお世辞でも何でもなく、練習を積み試合の経験を増やしていけば、着実に実力をつけて夏の大会でいいところまでいけそうな気がするのだ。
「じゃあ明日部活の時に先生に相談してみっか。もうちょっと俺達の実力にあった大会を教えてくださいってよ」
「ですねですね! よし、燃えてきましたよー! 今度こそ優勝しましょうね!」
「最初は二回くらい勝てばいい、ってくらいの目標でいいんじゃないか?」
「先輩、何弱気になってんですか! やるなら優勝する気持ちで挑みましょうよ! そんな弱気だとプレーにも影響するんですからね」
「分かった分かった。じゃ、次は優勝するつもりで練習しないとな。おし、それじゃあそろそろ帰るか。鈴木は帰りはバス? 電車?」
「私は電車です。先輩は?」
「俺も電車だ。じゃ、駅まで今日の試合の反省会といきますか」
「そうしましょうか」
 新たな目標が決まった勇と佳奈は、今日の敗戦で得た悔しさを次の練習での熱意へと転換させつつ駅を目指す。
 隣で佳奈が一瞬小さなガッツポーズを作っていたのは不思議だったが、勇は気に留めることなく、試合の立ち上がりの緊張の克服について解決策がないかどうかを話し始めた。